現場の罵声に怯えたあの日からは40数年。そのうち20年以上を総務として見続けた「街を創る男たち」の真実
はじめまして。当ブログ「転勤の無い建築地場ゼネコンの現場監督という生き方」の管理人です。
現在、私はある地方の建築地場ゼネコンに30年以上にわたって勤めています。新卒入社は木材・新建材問屋で約8年、結婚後Iターン転職して賃貸住宅メーカーで1年弱、いずれも営業職を経験しました。そして突然の出来事でしたが有難いご縁に恵まれ現在の会社へ3社目の転職。そこで10年余の営業、その後20年以上にわたり総務・人事として社員の人生と真正面から向き合ってきました。
定年後も継続再雇用していただきました。それも退職まで、残りあと1年弱となりました。これまでの30年以上にわたる建築地場ゼネコン業界での経験のすべてを注ぎ込み、このブログを立ち上げました。
このブログは、以下のような悩みを抱える皆さんに向けて書いていきます。
- 建設業界に興味はあるけれど、伝え聞こえてくる「激務」や「転勤」に不安を抱える高校生、専門校生、大学生の方々
- 大手・準大手・中堅ゼネコンあるいは住宅メーカーに入社したものの、毎日の濃厚な密度のなかで行われる施工管理業務に疲れ果ててしまった、あるいは自分よりはるかに偏差値の高い同期や学閥の壁に阻まれ、肩身の狭い思いをしながら「全国転勤」と「単身赴任」の連続に人生の迷いを感じている若手施工管理技術者の方々
私がなぜ、これほどまでに「転勤のない地場ゼネコンの現場監督」という生き方を強く推奨するのか。
それは、私自身が「もし若い頃にこの仕事の本当の魅力を知っていれば、絶対に現場監督になっていた」という強烈な後悔と、転勤の無い地場ゼネコンで活躍する監理技術者(現場監督)の皆さんと、彼らを信頼する職人さんたちへの「深いリスペクト」があるからです。
少し長くなりますが、私の「本音」のストーリーを聞いてください。
「現場監督なんて、何のためにいるんや」と思っていたあの頃
私は九州の田舎で生まれました。小学校入学前に父を病気で亡くし、8つ年上の姉と三人暮らしの母子家庭で育ちました。その後、姉が19歳で嫁ぎ母と二人になり、中学1年の夏休みには、スレート屋根工事の職人だった養父と母の再婚により青天の霹靂で大阪へ引っ越すことになります。
そんな家庭でしたので転校が多く、小学校は4つ、中学校は3つ通いました。
都会での暮らしに馴染めず「早く親から独立したい」という一心で、自然豊かな東海地方の大学の農学部林学科へ進学しました。両親に負担はかけられないと、学費も生活費もすべて奨学金とアルバイトで賄う日々でした。
家庭教師や深夜の工場作業など、数え切れないほどのバイトを経験しましたが、なかでも強烈に記憶に残っているのが、今から50年近く前、大学1年生の夏休みに経験した建設現場での過酷な肉体労働です。
真夏の生コンポンプ屋のバイト。基礎を打つ現場では暑さで朦朧となり、木陰で倒れ込むように休ませてもらいました。(今なら、元請のゼネコンも下請の圧送業者も重大な安全配慮義務違反として、労働基準監督署から厳しく追及を受け場合によっては送検もあり得るレベルの熱中症でした)
また、あるマンションの現場でのこと。現在では消防はしご車のように「長尺ブーム付コンクリート圧送車」が多くの現場で活躍していますが、当時は配管連結による圧送が主流でした。早朝どの業者よりも早く現場に入り、その日一番目の生コンミキサー車到着までに地上のポンプ車から10階以上の高さまで手作業でパイプを連結していくのです。
最も高い位置でスラブのコンクリートを打つ過酷な作業中、汗だくで筒先をコントロールして圧送作業をしているポンプ屋の職長が、若い現場監督に対して激しい言葉を浴びせました。 「何ボーっと見とるんじゃ!水でも持って来んかい!」
その時の私は、施工管理について何も知らず、冷めた目でこう思っていました。 「現場監督っていったい、何のためにおるんやろ」
結局、大学は卒業までに6年もかかり、しっかりした会社に入って一生懸命仕事に取り組めば何とかなるやろと職業選択について深い考えもないまま両親の住む大阪に戻り、木材・新建材問屋の営業マンとして就職。入社後すぐに、地方の県庁所在地の営業所に配属されました。
そこでも現場との軋轢は続きます。 内装業者さんへの石膏ボード配達で大手ゼネコンの現場に入った時のこと。職長から指示された搬入経路が現場のルール違反だったらしく、私は現場主任の監督からいきなり激しく怒鳴られ内装業者の職長も一緒に事務所に連れて行かれ次席の若い監督からもこっぴどく怒られました。
謝罪のために頭を下げながらも、私の心の中は「監督の段取りが悪すぎるんやろ、何で自分が怒られなあかんのや!」という反発心でいっぱいでした。当時の私にとって現場監督とは、「怒鳴られるだけ、あるいはただ怒鳴り散らすだけのよく分からない存在」でしかなかったのです。
百聞は一見に如かず。中から見た「真実」
転機が訪れたのは、この土地から絶対に離れたくないという妻との結婚でした。
自分の幼い頃の経験から、「自分の家族には、引っ越しや転校の多い人生をさせたくない」という強い思いがありました。大阪で市営の住宅団地に住んでいた両親の理解を得て結婚を機に「この赴任地に骨を埋める」覚悟を決めました。今から40年近く前のことです。
新建材の知識や営業スキルには自信がありましたが、少しでも有利な転職をと、宅建士の資格を取得し、全国展開の賃貸住宅メーカーの賃貸客付け営業へ転職しました。
この時、すでに赴任地で8年の月日が流れていました。 私は様々な人と知り合いになって楽しく集うのが好きで、いつしか仲良しの飲み仲間で作ったほとんど初心者ばかりの草ラグビーチームに入っていました。賃貸客付営業マンとして数か月が経った頃、そのメンバーの一人であった「建築地場ゼネコンの跡取り息子(現社長)」から突然声をかけられます。
「全国展開の会社やからいずれ転勤するて言ってたのに、結婚で永住決めたらしいやんか…」
私にとって有難いご縁でした。大変悩みましたが「これが一生で最後の勤め先だ」と決意して、現在の会社へ転職しました。
入社後、建築地場ゼネコンの多岐にわたる営業を10年ほど経験し、その後総務としてざっと20年。損害保険募集人資格や第一種衛生管理者資格も取得し、労災対応、労災上乗せや建設工事現場の火災や盗難、第三者賠償などの各種保険の手配、下請協力業者会の運営事務、建設業許可更新、経営事項審査、新卒・中途技術者の採用、社員の福利厚生、そして現場監督たちへの「資格取得支援の社内制度設計」など、幅広く携わってきました。
裏方として現場監督たちの仕事ぶりを最も近い場所で見つめ続けるなかで、私は過去の自分の浅はかさを猛烈に恥じました。
彼らはただ怒鳴っているわけでも、上の人間からただ怒られているわけでもありませんでした。 多くの専門工種に分かれる一流の職人たちをまとめ上げ、彼らの「安全」を第一に守り、数々のトラブルを乗り越え、何億円というプロジェクトを着工から竣工まで常駐しながら動かしている。引き渡し後、施主から全幅の信頼を受けた現場監督たちは何十年にもわたって維持修繕をはじめとするさまざまな相談に真摯に対応してあげている。
彼らこそが、地域経済と安全を守る「街の守り手」だったのです。
見習いから始まり、血の滲むような努力で人格を磨き、1級建築施工管理技士や一級建築士といった難関国家資格に挑む。そして「監理技術者」として現場のリーダーになっていく。
県や市町村立の学校や庁舎、地元の企業や個人の建物を、自分たちの手で完成させる。 その職務に真摯に向き合う彼らの姿は、やりがいとプライドにあふれています。休日などにたまたま通りがかれば、妻や子に「おとうさんがあの建物やったんだよ」と語りかけ、「おとうさんすごい!」と言われるような、家族とともに幸せな人生を築いていました。
転勤の無い監督人生によってもたらされる、人間としての幅の広さと奥行きの深さ。地場建築ゼネコンの「現場監督」という仕事の尊さを、私は中に入って初めて知ったのです。
なぜ今、「転勤のない建築地場ゼネコン」なのか
今の日本の就職活動では、どうしても本人も、親も、先生方も、「企業の規模」や「給与水準」に主な判断基準を置いてしまいがちです。
しかし、大手ゼネコンや全国展開の住宅メーカーに入った若者がどうなるか。 巨大なプロジェクトや規格化された建築の宿命として、全国転勤が繰り返されます。「こんなはずじゃなかった」と自身の人生に悩み、孤独や激務に耐えかねて地元へ帰るのですが、建築の現場監督という職業に心が折れてしまい、せっかくのキャリアを捨ててまったく別の職種へ転職してしまう若者の話を、私は何度も高校や専門校の先生から聞かされてきました。
社会にとって非常にもったいないことです。
もし、あなたが「愛着ある地元に根ざして、愛する家族と共に一生を送り、地域のランドマークを創る仕事がしたい」と少しでも思っているなら、「転勤のない建築地場ゼネコン」という選択肢を強くお勧めします。
仕事の責任は重く、決して楽な道のりではありません。しかし、努力次第で「半端ない達成感」と「尊敬される人生」を手に入れられる、本当に魅力的な職業です。
最後に
もし、中学や高校のころの私が「現場監督」という仕事の本当の姿を正しく知っていたら。間違いなく、私はこの仕事を選んでいたでしょう。
私にはもう、現場監督として生きる人生は選べません。だからこそ、これから進路を決める学生や、今まさに大手で悩み苦しんでいる若手技術者の皆さんに、私の30年超の経験と、総務からの視点で得た「リアルな情報」をすべてお伝えします。
このブログが、あなたの「後悔のない人生」を創るための、小さな道標になれば幸いです。